大航海時代の文明|滅亡した理由とは?
このカテゴリーでは大航海時代に滅亡した文明に関する情報をまとめています。アステカ、インカ、マヤの高度な文明が、ヨーロッパ勢力の侵略や疫病、内部の問題によりどのように崩壊したのかを探っていきたいと思います。

大航海時代の文明|滅亡した理由とは?

大航海時代に滅んだインカ帝国のマチュ・ピチュ遺跡

大航海時代は、ヨーロッパ諸国が世界中に進出し、アメリカ大陸を含む新しい地域を発見した時代でした。この時期に、アステカ王国、インカ帝国、マヤ文明といった高度な文明が存在していましたが、ヨーロッパ勢力の侵略によって次々と滅亡していきました。これらの文明は、それぞれに豊かな文化や独自の社会体制を持ちながら、なぜ短期間で崩壊してしまったのでしょうか?この記事では、3つの大文明が滅亡に至った理由を解説します。

 

 

アステカ王国

アステカ王国は、14世紀から16世紀にかけて現在のメキシコに繁栄した大帝国です。都であるテノチティトランは、湖上に築かれた壮大な都市で、技術や文化が発展していました。しかし、1521年、エルナン・コルテス(1485–1547)率いるスペインの侵略により、アステカ王国は滅亡しました。

 

滅亡の理由①:軍事的優位

アステカは戦士の社会であったものの、スペイン軍の鉄製の武器や火器に対抗する手段を持っていませんでした。スペインの技術的優位が決定的な差となり、アステカ軍は大敗します。さらに、コルテスはアステカに対抗する先住民を味方につけ、アステカ王国を孤立させました。

 

滅亡の理由②:疫病の蔓延

スペイン人が持ち込んだ天然痘が、アステカ王国に壊滅的な打撃を与えました。先住民は免疫がなく、疫病によって多くの人々が命を落とし、社会が混乱し、抵抗する力を失ったのです。

 

インカ帝国

インカ帝国は、南米のアンデス山脈を中心に広がり、15世紀から16世紀にかけて最盛期を迎えました。高度な土木技術や農業が発展しており、クスコを首都とする巨大な帝国でした。しかし、1533年、フランシスコ・ピサロ(1478–1541)率いるスペイン軍によって滅亡しました。

 

滅亡の理由①:内紛

インカ帝国は、スペインの侵略の直前に皇位継承をめぐる内乱に巻き込まれていました。アタワルパ(1497–1533)とその兄弟ワスカルの間での内戦が、帝国を大きく弱体化させました。この内紛がピサロにとって侵略の絶好の機会となり、インカ帝国は分裂状態のままスペイン軍に抵抗することができませんでした。

 

滅亡の理由②:捕虜となった王の処刑

ピサロは策略を用いてアタワルパを捕らえ、彼を処刑しました。この王の死が、帝国の象徴的な崩壊を意味し、インカの指導力が失われたことが、支配の終焉を加速させました。

 

マヤ文明

マヤ文明は、メキシコ南部から中央アメリカの広範囲に広がり、紀元前1000年頃から栄え続けた文明です。天文学や数学、文字を発明し、チチェン・イツァなどの壮大な都市が築かれましたが、16世紀までにその都市文明は衰退していました。

 

滅亡の理由①:環境問題

マヤ文明の都市が次々に放棄された大きな理由の一つは、環境問題でした。特に、森林の過度な開発や農地の不足が、都市の繁栄を維持できなくさせたとされています。人口増加により、都市は自給自足が困難になり、内陸部の多くの都市が衰退していったのです。

 

滅亡の理由②:スペインの侵略

マヤ文明の都市国家がすでに衰退していたため、スペインの侵略は比較的容易に進行しました。また、アステカやインカ同様、スペイン人が持ち込んだ疫病がマヤの社会に大きな打撃を与え、残存していた勢力も次第に滅んでいきました。

 

というわけで、大航海時代に滅亡したアステカ、インカ、マヤの文明についての解説でした!

 

まとめると

 

  • アステカ王国は、スペイン軍の技術的優位と疫病によって滅亡した
  • インカ帝国は、内紛と王の処刑が決定的な要因となり崩壊した
  • マヤ文明は、環境問題とスペインの侵略によって最終的に滅んだ

 

・・・というわけですね。つまるところ「ヨーロッパ人の侵略だけでなく、内部の問題や疫病がこれらの文明の滅亡に大きく寄与した」という点を抑えておきましょう!