インド植民地化の歴史|起源はインド航路の開拓!その目的とは?
この記事では大航海時代におけるインドの植民地化の歴史に関する情報をまとめています。ポルトガルがインド航路を開拓した背景や、香辛料貿易を独占するための目的、さらにその後のヨーロッパ諸国によるインド支配とその影響を探っていきたいと思います。

インド植民地化の歴史|起源はインド航路の開拓!その目的とは?

インドは長い歴史を持つ文明の発祥地ですが、16世紀以降、ヨーロッパ諸国が次々にこの地を植民地化し、支配を強めていきました。特に、イギリスによるインド植民地化はその後のインドの歴史に大きな影響を与えています。その始まりは、インド航路の開拓にありましたが、ヨーロッパ諸国はどのような目的でこの遠い地に興味を持ち、植民地化を進めていったのでしょうか?

 

 

インド航路開拓の始まり

インド植民地化の歴史は、インド航路の開拓に端を発します。15世紀末、ポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端を回り、1498年に初めてインドに到達しました。この成功は、香辛料やシルク、宝石といったアジアの商品を直接手に入れるルートをヨーロッパにもたらしたのです。

 

それまで、アジアとの交易は主に中東の商人を通じて行われており、高額な輸送コストがかかっていたため、ヨーロッパ諸国はインド航路開拓を強く望んでいました。

 

この航路の開拓によって、ヨーロッパはインドとの直接貿易に乗り出し、中東を介さない香辛料を輸入が可能になりました。特にポルトガルは、インド洋での海上覇権を握り、インドの主要な港を次々と支配たことで、「ポルトガル海上帝国」と呼ばれるほどの勢力圏を築き上げたのです。

 

インドの重要性と目的

香辛料貿易

ヨーロッパ諸国がインドを目指した主な目的は、貴重な香辛料や商品を直接手に入れることです。胡椒、クローブ、シナモンなどの香辛料は、ヨーロッパ市場で非常に高価で取引されており、香辛料貿易は大きな経済的利益を生むものでした。また、インドは金や宝石、綿織物なども豊富に生産しており、ヨーロッパにとって魅力的な貿易相手だったのです。

 

アジア進出の拠点

さらに、ヨーロッパ諸国はインド以外にもアジア地域全体への進出も狙っていた為、その地理的位置から、アジア全体への玄関口となり得たインドは狙い目だったのです。こうした経済的、地理的な理由から、ポルトガルや後に参入してきたオランダ、フランス、そしてイギリスはインドでの影響力を強化していったわけですね。

 

イギリスによる植民地支配

東インド会社による圧政

17世紀に入ると、イギリスがインドでの植民地化に力を入れるようになります。1600年、エリザベス1世の勅許を受けて設立されたイギリス東インド会社が、インドでの貿易活動を開始しました。同社は当初、貿易の独占権を持ち、香辛料や絹、茶などを輸入していましたが、次第に軍事力を使ってインド国内での支配を強化していったのです。

 

そして1757年のプラッシーの戦いで、東インド会社はフランスとその同盟者であるベンガル太守の連合軍に勝利し、ベンガル地方を実質的に支配下に置くことに成功します。これにより、イギリスはインド全土への植民地支配を加速させ、19世紀にはほぼ全域を統治するに至りました。

 

インド社会への深刻な影響

イギリスによるインドの植民地化は、インド社会に深刻な影響を及ぼしました。まず、インドの伝統的な産業はイギリスの安価な工業製品によって打撃を受け、特に綿織物産業は壊滅的な状況に陥りました。さらに、インドの農業はイギリスに有利な形で再編され、地主階級が強化される一方で、農民たちは重税に苦しむことになったのです。

 

一方、植民地支配下ではインフラ整備が進みました。鉄道や電信、港湾などが建設され、インドの都市部は近代化されていきます。しかし、これらの整備は主にイギリスの利益のために行われたものであり、現地のインド人の生活向上にはほとんど寄与しなかったことは知っておきましょう。

 

また、植民地時代にはイギリス文化や英語教育がインドに広がり、インドのエリート層が英語を習得し、後の独立運動の基盤が築かれることにもつながりました。

 

というわけで、インド植民地化の歴史についての解説でした!

 

まとめると

 

  • インド植民地化はヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓に始まった
  • イギリス東インド会社が次第に軍事力でインド支配を強化した
  • 植民地化の目的は経済的利益であり、イギリスの利益に基づいた支配が行われた

 

・・・というわけですね。つまるところ「インド植民地化はヨーロッパの経済的野心と、インド社会への深い影響をもたらした重要な歴史的出来事である」という点を抑えておきましょう!