
「世界一周を成し遂げた探検家」として知られるフェルディナンド・マゼラン。しかし、実際には彼自身は世界一周を完了していません。では、なぜマゼランが世界一周の功績者とされるのでしょうか?彼の航海の真実と、それが歴史に与えた影響について、詳しく解説していきます。
フェルディナンド・マゼランは、16世紀初頭、ポルトガル出身の探検家として活躍していましたが、スペイン王カルロス1世の支援を受けて1519年に大規模な探検航海に出発しました。彼の目的は、西回り航路を通って、当時「香料諸島」として知られていたモルッカ諸島(現在のインドネシア)に到達することでした。ポルトガルはすでに東回りの航路を確保していたため、スペインは西回りのルートを開拓することで、独自の貿易網を確立したかったのです。
マゼランは5隻の船と約270人の乗組員を率いて大西洋を渡り、南米大陸の南端に位置する海峡(現在のマゼラン海峡)を発見しました。この海峡を越え、彼らは太平洋へと出航し、史上初めて太平洋を横断する航海を成功させました。
マゼランの航海は歴史的に重要な業績でしたが、彼自身は世界一周を達成していません。1521年、マゼランはフィリピン諸島に到達しましたが、そこで現地の族長ラプ=ラプとの戦いで命を落としてしまった為です。この時点で、彼の目的地であったモルッカ諸島にすら到達していませんでした。
彼の死後、航海の指揮は副官フアン・セバスティアン・エルカーノに引き継がれ、エルカーノは残りの船と乗組員を率いてモルッカ諸島に到達し、香辛料を積み込みました。エルカーノはその後、西回り航路を使ってスペインへと帰還し、世界一周を成し遂げたのです。
マゼランはフィリピンで命を落としましたが、彼の探検隊が最終的に世界一周を達成したため、功績は彼に帰せられるのが一般的です。マゼランの指導のもとで計画され、進められた航海が成功を収めたことから、彼が「世界一周を果たした人物」として語られることに、そこまで反発はありません。
また、マゼラン自身は太平洋を横断し、未知の航路を切り開いたという点でも大きな功績を残しました。特に、彼が発見したマゼラン海峡は、南アメリカ大陸と南極大陸の間にあり、大西洋と太平洋を結ぶ重要な航路として後世に大きな影響を与えました。
マゼランの後を引き継ぎ、世界一周を完遂したフアン・セバスティアン・エルカーノは、帰還後にスペイン王から大きな称賛を受けました。「ビクトリア号」と18名の乗組員を、無事スペインに帰還させた彼の名は、当然歴史に刻まれていますが、やはり「マゼランの航海」として語られることが多いのは、マゼランの名前がこの壮大な冒険の象徴として残ったからなのです。
マゼランの航海は、ヨーロッパにとって地理的な発見以上に経済的・政治的な影響をもたらしました。まず、スペインはモルッカ諸島への航路を開拓し、香辛料貿易に参入できるようになりました。これにより、スペインは新たな富と影響力を手に入れ、他のヨーロッパ諸国との競争で有利な立場を築くことができたのです。
また、マゼランの航海によって、(当時すでに有力視されていたものの)「地球が丸い」という理論が実証され、世界の地理的理解が大きく進展しました。この航海は、その後の探検家や貿易業者にとって、「地球全体を視野に入れた行動を取るための新たな基盤」を与えてくれたといえるものでした。
一方で、マゼランの航海によって、新たな地域にヨーロッパ人が進出した結果、現地の文化や社会に大きな影響が及びました。特にフィリピンにおいては、スペインによる植民地支配のきっかけとなり、ヨーロッパ人と現地住民との関係が良くも悪くも劇的に変化したんですね。
というわけで、マゼランの功績についての解説でした!
まとめると
・・・というわけですね。つまるところ「マゼランの功績は世界一周を達成したことではなく、世界規模の航海の先駆者として歴史に名を刻んだ」という点を抑えておきましょう!