
大航海時代は、新しい土地や海路の発見が続いた一方で、様々な疫病が人々の命を脅かしました。中でも天然痘は、急速に広がり、多くの命を奪った恐ろしい病気で、船乗りや新たに接触した先住民たちにも壊滅的な被害を与えています。では、なぜ天然痘が流行したのか、そして当時の人々はどのように対策を講じたのか、詳しく見ていきましょう。
天然痘はウイルス感染症であり、人から人へ飛沫や接触を通じて広がる病気です。大航海時代、長期の航海によって新しい土地が次々と発見され、船乗りたちはこれまで接触のなかった人々と頻繁に交流しました。これにともない、天然痘ウイルスが急速に広がる結果となったのです。特に、ヨーロッパから新大陸へ運ばれた天然痘は、免疫を持たない先住民たちの間で猛烈なスピードで蔓延し、多くの命を奪いました。
ヨーロッパではすでに天然痘は長い間存在していましたが、先住民にとっては初めての疫病でした。免疫を持たない人々が突然感染すると、致死率は非常に高いため、先住民社会は壊滅的な打撃を受けました。16世紀にスペインがメキシコを征服した際、天然痘はアステカ帝国を崩壊させる一因となったと言われています。
船内は閉鎖空間で、乗組員たちは長期間同じ空間で生活を共にするため、感染症が広がるリスクが非常に高かったというのもあります。特に、長期間の航海では衛生状態が悪化しやすく、適切な治療や予防策がない状態で天然痘が発生すると、瞬く間に感染が拡大しました。船内での流行はしばしば全員に感染が広がり、多くの船員が命を落とす原因となったのです。
天然痘に対する有効なワクチンや治療法が確立されたのは18世紀以降のことですが、それ以前の大航海時代には、感染症に対しての知識が限られており、当時の人々は様々な方法で感染を防ごうとしました。
まず、隔離が一般的な対策として行われました。感染が疑われる乗組員は他の乗員から隔離され、症状が進行する前に病気が広がらないようにする試みが行われたのです。これにともない、一部の船では感染が広がった際に、発病者を海に投棄するといった厳しい措置がとられることもありました。
また、一部のヨーロッパ諸国では、「人痘接種」と呼ばれる初期の予防策が試されました。これは、軽症の天然痘患者から膿を取り、健康な人の皮膚に軽く接種することで免疫を獲得させるという方法です。しかし、この方法はリスクが高く、逆に重症化してしまうこともあり、十分な効果を発揮できたとは言えませんでした。
18世紀に入ると、イギリスの医師エドワード・ジェンナーが、牛痘ウイルスを用いて人間に天然痘の免疫をつけるというワクチン接種法を発見しました。これにより、天然痘に対する効果的な予防策が確立され、やがて天然痘はほぼ撲滅されるに至りました。しかし、この技術が確立されるまでの間、天然痘は大航海時代の航海者や新たに発見された土地の人々にとって恐怖の病気であり続けたのです。
というわけで、天然痘が流行した原因と当時とられた対策についての解説でした!
まとめると
・・・というわけですね。
つまるところ「天然痘は長期間にわたって恐れられた疫病であり、ワクチンの発見が救いとなった」という点を抑えておきましょう!