
大航海時代は、ヨーロッパ諸国が新しい航路を求めて世界各地へ進出し、貿易や植民地支配を拡大した時代です。その先駆けを担ったのは、ポルトガルとスペインでした。なぜこの2つの国が他の国に先んじて海を越え、新たな航路や領土を開拓できたのでしょうか。今回は、大航海時代の背景とともに、ポルトガル・スペインがその中心となった理由について探っていきます。
15世紀、ヨーロッパはアジアとの貿易に大きく依存していました。香辛料、絹、宝石といった高級品は、イスラム商人が支配する地中海を経由してヨーロッパに運ばれていました。しかし、1453年のコンスタンティノープル陥落により、オスマン帝国が地中海の貿易ルートを抑えたことで、ヨーロッパ諸国は貿易の危機に直面しました。これにより、イスラム圏を迂回して直接アジアと貿易を行うための新たな航路を見つける必要に迫られたのです。
オスマン帝国の拡大により、東西交易は高コストになり、貿易量も減少しました。ヨーロッパ諸国は、オスマン帝国の関与を避けるために新たな海路を探し始めました。これが、大航海時代の直接的なきっかけの一つとなりました。
ルネサンス期における科学技術や地理学の進歩も、航海時代を後押ししました。天文学や航海術が発展し、正確な海図や羅針盤などの技術が改良されたことで、長距離航海が可能となったのです。また、古代ギリシャ・ローマの地理学的知識が再発見され、世界観が広がりました。
この時代に発展したキャラック船やキャラベル船は、風を利用した効率的な航行が可能となり、より遠くの海域まで進出できるようになりました。こうした技術的進歩が、長期間の航海を可能にし、ヨーロッパ諸国が未知の領域に挑む基盤を提供しました。
ポルトガルやスペインが大航海に乗り出した背景には、宗教的使命感もありました。カトリック教会の影響力が強い中、「異教徒にキリスト教を広める」という宗教的な目的が、大航海時代の大きな原動力となりました。特に、イスラム勢力に対抗するため、アフリカやアジアの地域でキリスト教を広めることが重要視されていました。
スペインでは、レコンキスタ(キリスト教徒によるイベリア半島の奪回運動)が1492年に完了しました。この成功により、スペインは新たな領土拡大と宗教的使命感を外洋へと向けることができたのです。こうした宗教的な熱意が、スペインとポルトガルを海へと駆り立てました。
では、なぜ他のヨーロッパ諸国に先んじてポルトガルとスペインが航海探検をリードできたのでしょうか。いくつかの要因が複合的に影響しています。
ポルトガルとスペインは、地理的に大西洋に面していたため、新航路を開拓するのに最適な位置にありました。特にポルトガルは、西アフリカ沿岸を南下しやすい立地にあったため、自然と航海技術が発展しました。スペインも同様に、海洋探検に適した条件が整っていました。
ポルトガルとスペインは、強力な中央集権的な王権を持っていました。特に、ポルトガルのエンリケ航海王子が航海探検を強く支援したことが重要です。彼の奨励によって、探検家たちは新しい航路を見つけるための資金や技術を得ることができました。スペインでも、イザベル1世とフェルナンド2世の統一政権が航海活動を支え、コロンブスの大西洋横断が実現しました。
ポルトガルとスペインは、経済的動機として、香辛料貿易による莫大な利益を求めていました。当時の香辛料は非常に高価で、アジアとの貿易ルートを抑えることは莫大な富をもたらすと期待されていたのです。さらに、宗教的動機として、キリスト教の布教と異教徒との戦いが彼らの航海を推進する大きな要因となりました。
というわけで、大航海時代の背景と、ポルトガル・スペインが先駆者となった理由についての解説でした!
まとめると
・・・というわけですね。つまるところ「ポルトガルとスペインは、地理的・政治的・宗教的な要因から、大航海時代をリードする立場にあった」という点を抑えておきましょう!