カブラルの功績|ブラジルの発見者
この記事ではカブラルの功績に関する情報をまとめています。彼が偶然ブラジルを発見し、ポルトガル領としたことで、後の植民地化やブラジルの歴史に与えた影響を探ります。また、その航海がポルトガルの帝国拡大に果たした役割を探っていきたいと思います。

カブラルの功績|ブラジルの発見者

ペドロ・アルヴァレス・カブラルは、ブラジルを「発見」した探検家として歴史に名を残しています。彼の航海はポルトガルの大航海時代において重要な転換点となり、南アメリカ大陸がヨーロッパに知られるきっかけとなります。しかし、カブラルの発見は偶然の産物でもあったのです。ここではそんな彼の功績や、その背景にあった歴史的状況を詳しく見ていきましょう!

 

 

ペドロ・アルヴァレス・カブラルとは?

カブラルは、1467年頃にポルトガルで生まれました。大人になった彼は王室の後援を受けて航海士として活躍し、1500年にポルトガル王マヌエル1世からインドへの航海を命じられます。バスコ・ダ・ガマによって発見されたインドへの航路を盤石にし、香辛料貿易を拡大する為です。

 

カブラルのブラジル到達の背景

しかしいざ航海が始まると、嵐や風に流され、南アメリカ大陸の東側に漂着するという思わぬ展開が起こります。こうして、1500年4月22日、彼は偶然にも現在のブラジルの地に到達したのです。

 

カブラルが最初に上陸した場所は、現在のバイーア州にある「ポルト・セグーロ」であり、彼はこの土地を「ヴェーラ・クルス(真の十字架)」と名付け、発見をポルトガル王に報告しています。

 

ちなみに当時、カブラルはブラジルを「自分がアジアへ向かう途中で発見した新しい土地」だと認識しており、コロンブスと同じように、その地が新大陸の一部であることには気づいていませんでした。

 

カブラルのブラジル発見はポルトガルにとって幸運な出来事でした。1494年にスペインとポルトガルが結んだトルデシリャス条約によって、大西洋における両国の領土分割線が定められていましたが、ブラジルはその分割線のポルトガル側に位置している為、スペインに邪魔されることなく利益を独占することが出来ました。

 

ブラジル植民地化の始まり

ペドロ・アルヴァレス・カブラルのブラジル発見により、ポルトガルはこの新しい土地の植民地化に着手しました。当初、ブラジルは大規模な植民地開発の対象とは見なされていませんでしたが、染料として高い需要を持つブラジルボク(パウ・ブラジル)が豊富に存在することがわかると、次第に植民地としての重要性が増しました。この地に移民を送り、農業や木材採取を進め、本格的に経済を回し始めたのです。

 

また、カブラルの発見で、ポルトガルの海洋帝国がアフリカ、アジアだけでなく、南米にも広がる大きなきっかけになったことも重要です。特に、サトウキビ栽培や奴隷貿易が拡大する中で、ブラジルはポルトガルの最重要植民地へと成長していきました。

 

カブラルのその後

ペドロ・アルヴァレス・カブラルは、ブラジル発見後もインドへ向かい、香辛料貿易を拡大するための活動を続けましたが、その後の生涯はあまり詳細が記録されていません。彼のインドでの功績は、商業的成功というよりは武力での交渉が多く、平和的な貿易関係を築くことは難しかったようです。

 

しかし、ブラジルの発見者としての彼の業績は揺るぎないものです。カブラルの発見によって、ポルトガルは南米における影響力を強化し、長期にわたってブラジルを支配しました。ブラジルは、ポルトガルの植民地の中でも最大規模を誇る地域となり、その後の独立に至るまで、ポルトガルに莫大な富と資源をもたらす存在となるのです。

 

というわけで、ペドロ・アルヴァレス・カブラルの功績についての解説でした!

 

まとめると

 

  • ペドロ・アルヴァレス・カブラルは、1500年にブラジルを発見した
  • この発見は偶然の産物でしたが、ポルトガルにとって南米進出の重要なきっかけとなった
  • カブラルの発見は、ポルトガルの海洋帝国拡大に大きく貢献し、ブラジルはその後、重要な植民地となった

 

・・・というわけですね。つまるところ「カブラルは、偶然ながらもブラジルを発見し、ポルトガルの植民地支配の礎を築いた」という点を抑えておきましょう!