
「喜望峰」は、大航海時代の象徴ともいえる地ですが、その発見者は誰かご存じでしょうか?本記事では、喜望峰の発見者バルトロメウ・ディアスと、その発見がどのように世界を変えたのかを見ていきます。
喜望峰を発見したのはポルトガルの探検家バルトロメウ・ディアスです。彼は、ポルトガル王ジョアン2世の命によりアフリカ大陸の南端を目指し、1488年に「嵐の岬」と名付けた場所に到達しました。帰国後、この地を「喜望峰」と改名したのは、インド航路への「希望」がそこに見出されたからです。この発見により、ヨーロッパはアフリカ大陸を回りインド洋に到達できる航路を手に入れたといえます。
バルトロメウ・ディアスのその後
喜望峰の発見者バルトロメウ・ディアスはその後も探検家として活躍し、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海にも同行しました。しかし、1500年にインド洋で嵐に遭遇し、ディアスは命を落としてしまっており、彼が名付けた「嵐の岬」は、皮肉にもその最期を暗示していたのかもしれません。
喜望峰の発見は、それまでアジアとの交易が中東の商人を介して行われていた状況を大きく変えました。ポルトガルは、新たに開拓した航路を通じて直接アジアと交易を始め、香辛料や貴重品を独占的に輸入することで、貿易大国としての地位を確立しました。
そしてこれを皮切りに、スペインやイギリス、オランダなども次々海外に進出していくことになるので、喜望峰の発見は、大航海時代の到来を告げる重要な出来事だったのです。
喜望峰の発見はヨーロッパとアジアを結ぶ海上貿易を大きく変えました。これにより、ヨーロッパの商人たちは中東経由の高コストな陸上ルートを回避出来るようになり、ヨーロッパとアジアとの直接貿易が盛んになったのです。ポルトガルはこの新航路を利用して経済的な覇権を握り、やがてイギリスやオランダといった他のヨーロッパ諸国も同じルートに参入していきます。この発見は、ヨーロッパの植民地主義の拡大にもつながる大きな要因でした。
というわけで、喜望峰の発見とその背景についての解説でした!
まとめると
・・・というわけですね。つまるところ「喜望峰の発見は大航海時代の幕開けを告げ、ヨーロッパと世界の歴史に多大な影響を与えた」という点を抑えておきましょう!