
大航海時代は、15世紀後半から17世紀にかけてヨーロッパ諸国が世界の海へ進出し、新たな航路や領土を開拓していった時代です。しかし、この時代を「中世」と捉えるべきか、それとも「近世」とすべきかは、歴史家たちの間でも議論が続いています。この記事では、大航海時代がどの時代区分に属するのか、その背景や要素を探りながら考察していきます。
大航海時代を中世に位置付ける意見は、特にその前半部分に見られます。この時代の探検家たちの航海に影響を与えたのは、中世ヨーロッパのキリスト教的価値観や封建社会です。ポルトガルやスペインは、異教徒への布教や神の加護を求めて航海に出ました。これは、中世のキリスト教的使命感が色濃く残る動機でした。さらに、ヨーロッパ諸国が国力を高めるために海外進出を試みたのも、中世末期のヨーロッパ社会の延長線上にあります。
レコンキスタ(国土回復運動)が完了し、新たな土地への探求が始まったのは、中世的な背景を反映しています。とくに、スペインやポルトガルがイスラム勢力を駆逐し、国土を統一したことで、外へと進出する余裕ができたのです。こうした点を踏まえると、大航海時代は中世の延長として見ることも十分に可能なのです。
また、15世紀当時のヨーロッパ社会はまだ封建制度の名残が強く残っていました。領主たちが土地を支配し、農民はその保護の下で生活するという体制は、16世紀に入っても一部の地域で続いていました。大航海時代に乗り出した探検家たちの多くは、王や貴族からの支援を受け、貢献の見返りに土地や富を与えられることを期待していたのです。この封建的な関係も、大航海時代を「中世」の一部と考える理由の一つです。
一方で、大航海時代を近世の始まりとする考え方もあります。この時代は、ヨーロッパの地理的視野が飛躍的に広がり、世界との交流が加速した時期です。地理的発見がもたらした新しい知識や商業活動の拡大は、中世の価値観を超えて、近世の社会へとつながる重要な変化でした。
特に、コロンブスの新大陸発見やバスコ・ダ・ガマのインド航路開拓は、ヨーロッパに大きな衝撃を与え、新たな時代への転換を促したのです。これらの発見は、ヨーロッパが閉ざされた世界観から脱却し、地球規模での貿易や政治的影響力を行使する近代的な動きへとつながるものでした。
大航海時代が「近世」に位置付けられるもう一つの理由は、絶対王政の発展です。スペインやポルトガル、さらには後に台頭するイギリスやフランスでは、王権が強化され、強力な中央集権国家が形成されました。王たちは、植民地や新たな貿易ルートを確保することで、国力を増大させ、絶対的な支配を確立していったのです。
この時期には商業革命も進行していました。大航海時代の航海によって、ヨーロッパはアジアや新大陸との貿易を急速に拡大させ、金や銀などの富がヨーロッパ諸国に流れ込むようになります。これにより、封建的な農業経済から、商業中心の経済へと移行し始め、資本主義の萌芽が見られたのです。こうした変革が、近世の社会経済の基盤を作ったと言えます。
このように、大航海時代を「中世」とするか「近世」とするかには、それぞれの視点があります。しかし、重要なのは、大航海時代が中世から近世への移行期であったという事実です。探検家たちの宗教的な動機や封建的な支援体制は中世的でありながら、新たな世界観や経済の変革は近世の到来を告げていました。
つまり、大航海時代は中世の終わりと近世の始まりが交錯する、歴史的な変革期であったと言えるのです。この時代に始まったグローバルな貿易や文化交流が、後の近代世界を形成する重要な要素となったことは間違いありません。
また、大航海時代がもたらしたのは、ヨーロッパの中での変化だけではありません。アメリカ大陸やアフリカ、アジアとの接触が始まり、世界が初めて本格的に繋がるようになりました。これにより、世界の一体化が進み、地球規模での歴史が動き始めたのです。この点でも、大航海時代は近代的な特徴を持つ時代だったと言えるでしょう。
というわけで、大航海時代の時代区分についての解説でした!
まとめると
・・・というわけですね。大航海時代が中世と近世の両方の側面を持ち、変革期であったという点を理解しておきましょう。