大航海時代「西廻り航路」のルート|どこからどこまで?
この記事では大航海時代の「西廻り航路」のルートに関する情報をまとめています。ヨーロッパから大西洋を渡り、新大陸やアジアに至るまでの具体的な航路や、その経済的・歴史的な役割を探っていきたいと思います。

大航海時代「西廻り航路」のルート|どこからどこまで?

西廻り航路とは、ヨーロッパの探検家たちが「新世界」やアジアとの新しい貿易ルートを求めて模索した航路の一つです。特に、16世紀のスペインやポルトガルの探検家たちは、アフリカを経由する東廻り航路に対抗して、西へ進むルートを開拓しました。この航路はどこからどこまでのルートだったのか、そしてどのような意義を持っていたのか、詳しく見ていきましょう。

 

 

西廻り航路の起点:スペインから大西洋へ

西廻り航路の冒険はスペインを起点に始まりました。1492年、クリストファー・コロンブスは西に向かって大西洋を横断し、新しいルートを発見しようとしました。当時、アジアとの貿易は非常に利益が大きく、ヨーロッパの国々は直接アジアへ至る航路を求めていたのです。

 

コロンブスは「アジアへ行く最短の道は西へ進むことだ」と信じて出航しましたが、実際にはアジアではなく西インド諸島(現在のカリブ海地域)に到達しました。彼の探検は新しい大陸、つまりアメリカ大陸の発見につながり、ヨーロッパから見て西に位置するこれらの土地が新たな目的地となりました。

 

新大陸から太平洋へ:マゼランの航海

スペインの次なる目標は、西回りでさらにアジアへのルートを発見することでした。この夢を実現させたのがフェルディナンド・マゼランです。1519年、彼は大西洋を越え、南アメリカの南端にある「マゼラン海峡」を通って太平洋に抜け、西廻りでアジアに到達する航路を切り開いたのです。

 

マゼランの航海はその後、彼の部下によって完遂され、人類史上初の世界一周が達成されました。この航路は、スペインにとって太平洋を経由した貿易の新たな可能性を開きましたが、マゼラン含め、航海の中で大勢の犠牲が出たことから、この航路は非常に長く過酷であることも判明しました。

 

フィリピンからの銀と香辛料の交易

マゼランの航海で発見されたルートは、フィリピン諸島や東南アジアへの道をつなげ、スペインはフィリピンを拠点に貿易を拡大しました。西廻り航路によってフィリピンからスペイン本国へと運ばれたのは、銀と香辛料です。特にメキシコの鉱山で産出された銀は、太平洋を越えてフィリピンへ運ばれ、そこでアジアの香辛料と交換され、再びスペインへと送られました。

 

この貿易は、ガレオン貿易として知られ、ヨーロッパとアジアを結ぶ重要なルートとなりました。この西廻り航路は、スペインの帝国としての繁栄を支えた大きな要素となり、銀と香辛料の交易を通じて世界経済に大きな影響を与えたのです。

 

西廻り航路の終着点:スペイン本国への帰還

太平洋を横断した西廻り航路の終着点は、スペイン本国でした。フィリピンで得た香辛料や銀は、メキシコを経由してアメリカ大陸の東海岸へ運ばれ、そこから大西洋を渡ってスペインに到達しました。この航路は非常に長く、船乗りたちは多くの困難に直面しましたが、貿易の利益は膨大なものでした。

 

特に、セビリアカディスの港は、この貿易の中心地として繁栄しました。スペイン本国に到達した銀や香辛料は、ヨーロッパ全土で取引され、スペインを一大経済大国(通称:太陽の沈まない国)へと押し上げたのです。

 

というわけで、西廻り航路についての解説でした!

 

まとめると

 

  • 西廻り航路はスペインを起点に、コロンブスが大西洋を越えて新大陸を発見しました
  • マゼランは南アメリカを経由して太平洋を渡り、世界初の西廻り航路を開拓しました
  • フィリピンからの香辛料や銀の交易が、スペイン帝国を支えました

 

・・・というわけですね。つまるところ「西廻り航路はスペインが新大陸とアジアを結び、銀や香辛料で莫大な利益を得た重要なルートである」という点を抑えておきましょう!