
大航海時代は、15世紀から17世紀にかけてヨーロッパ諸国が新たな航路を開拓し、世界中へ進出した時代です。この時期、世界は広がり、貿易や文化、技術の交流が一気に加速しました。しかし、その背後には植民地化や奴隷貿易など、現代に続く複雑な歴史的問題も潜んでいます。今回は、大航海時代の前史からその終焉まで、全体の流れを整理しながら、この時代の重要な出来事を振り返ります。
大航海時代が始まる以前、ヨーロッパはアジアからの香辛料や絹、宝石などの貴重品を求めて、イスラム商人を通じた貿易に依存していました。特に、地中海を経由する交易路は重要でしたが、オスマン帝国の台頭により、これらのルートが脅かされました。そのため、ヨーロッパ諸国は自らの手で直接アジアと取引するための新航路を探す必要に迫られました。また、ルネサンスによる科学技術や地理学の進展も、航海技術の発展に寄与しました。
ポルトガルがアフリカ沿岸を南下し、新航路を開拓する動きを見せました。ヴァスコ・ダ・ガマが1498年にインドに到達したことで、アジアへの新しい交易ルートが確立され、ポルトガルがアジア貿易の先駆者となりました。これが大航海時代の始まりです。
大航海時代の前期では、スペインとポルトガルが中心的な役割を果たしました。1492年、クリストファー・コロンブスが新大陸を発見し、これをきっかけにスペインはアメリカ大陸への大規模な進出を開始しました。一方、ポルトガルはアフリカ西海岸を経由してインド洋貿易を支配し、東アジアにも進出していきました。これにより、トルデシリャス条約(1494年)で、スペインとポルトガルは世界を二分して支配する取り決めを結びました。
スペインは、コルテスやピサロといった征服者を送り込み、アステカ帝国やインカ帝国といった高度な文明を滅ぼし、アメリカ大陸を植民地化しました。この時期、スペインは莫大な金銀を手に入れ、ヨーロッパの覇権を確立しました。ポルトガルは一方で、ブラジルを植民地化し、砂糖生産を中心に植民地経済を発展させました。
17世紀に入ると、オランダとイギリスが海上貿易で台頭しました。オランダは、1602年に東インド会社を設立し、香辛料貿易で大きな成功を収めました。オランダは、特にインドネシアを拠点にアジア貿易を支配し、ポルトガルの勢力を次第に押しのけていきました。イギリスもまた、東インド会社を設立し、インドを中心に影響力を拡大していきました。
オランダは、アジアやアフリカの貿易拠点を獲得し、特に香辛料貿易でヨーロッパ市場を支配しました。これにより、オランダは17世紀を「黄金時代」とするほどの繁栄を遂げ、その影響は世界中に広がりました。
18世紀には、イギリスとフランスが植民地を巡る激しい争いを繰り広げました。特に、インドや北アメリカでの対立が顕著で、これが最終的に七年戦争(1756–1763年)へと発展しました。この戦争の結果、イギリスがフランスに勝利し、北アメリカやインドにおける支配権を大幅に拡大しました。
七年戦争後、イギリスはインド全土での支配権をほぼ確立し、東インド会社を通じて貿易と統治を管理しました。この成功により、イギリスは19世紀にかけて世界最大の帝国を築き上げる礎を築いたのです。
19世紀になると、大航海時代に築かれた植民地帝国は徐々に崩れ始めました。アメリカ独立戦争(1775–1783年)や、ラテンアメリカ諸国の独立運動により、スペインとポルトガルの植民地は次々と独立を達成しました。また、19世紀後半にはアフリカの分割競争が激化し、これが新たな帝国主義時代の幕開けとなりました。
ヨーロッパ諸国が築いた植民地支配は、20世紀に入ると次第に解体されていきました。アメリカやアフリカ、アジアの国々が独立を達成し、大航海時代に始まった世界の秩序は、新しい国家間の関係へと変化しました。
というわけで、大航海時代の流れについての解説でした!
まとめると
・・・というわけですね。つまるところ「大航海時代は、ヨーロッパの世界支配を確立する一方で、現代の国際社会への基盤を築いた重要な時代だった」という点を抑えておきましょう!